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2010年05月13日

こんな子育てがしたい♪「遊んじゃだめ勉強しなさい。」っておかしくない?

こんな子育てがしたい♪ 自然の摂理より気づく子育て
 今回も前回同様、『自然の摂理』から気づく、”今日からでも役立つ子育て”です。
「遊んじゃだめ勉強しなさい」ってよくいいますね。 :P
そもそも遊びと勉強って対立するものなのでしょうか?

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まず遊びとは何でしょうか
一般に遊びは、勉強と対極にあるといわれています。遊びはもともと、脳を発達させるために哺乳類が選択した絶妙ともいえる戦略であり、人類も遊びは本能的にセットされているのではないか。そうすると【遊び=学習=勉強】となるのではないでしょうか?
:shock: :shock: :shock:
ここに参考になる投稿があります
「遊び」こそが勉強の王道

「遊び」について以下のような記述があった。
・遊びというと勉強と対極にあるようなイメージを持たれる方が多いのでしょうが、脳科学的にいえば、子供の脳にとって遊びと勉強はそもそも同じだと言えるのです。
遊びはもともと、脳を発達させるために哺乳類が選択した絶妙ともいえる戦略です。この多様な環境の中で、自分の生まれた環境に適したかた

ちで脳を発達させていくためには、未知のことも含めて、目の前にあるものに次々と関心を持たせた方が有利です。そしてそれらと直接触れ合

うことで、その反応などを脳の神経系にインプットしていく方法が脳の発達には最も適しているのです。それを子供に自発的に行わせるために

哺乳類の遺伝子が採用したのが、子供に遊ばせる習慣なのです。~略~
根源的な遊びとは、子供が自発的に働きかけて、ワクワクドキドキ楽しむことです。例えば蝶を追いかけて走り回るような行動が、わかりやす

い例です。そうやって、自分の体と周囲の環境を相関させていくことで、周囲に何があるかを知り、自分の体をどのようにコントロールしてい

けばいいかを学んでいきます。このようにほったらかして遊ばせているだけでも、身体運動的知性は十分に備わっていくものです。
(中略)
脳の発達にとって遊びこそが原点ですから、勉強をいかに遊びに近づけるかという発想は非常に重要に意味をもってきます。
そもそも人間の脳はできるだけ自発的に、できるだけ楽しく、遊び感覚で勉強するほうが、知性を身につけやすいように設計されているからです。
引用:「勝てる子供の脳 吉田たかよし著」
*************************:

幼少期に様々な遊び(=勉強)を体験することは、結局頭を働かす基盤となり、それらに体験を通じて物事をじっくりと考える能力となる。そのことを大人は忘れてはならないと思う。

では遊びの中身についてはどうだろうか
哺乳動物のように、生まれた時からかなりの期間、おとなとしての力を持ち合わせていない動物は、「学習」することで生存力を獲得する。動物にはそれを可能にする能力がDNAに備わっている。人類では遊びは充足することが前提では・・・
:tikara:

まずは

 
続く

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・幼少期からの、あそびの効用。

年齢に応じた幼少期の活発な遊びが、体と心と頭の調和と秩序を育むという説は間違いない。ひたすら充足を志向する肉体と心の欠乏が強く結びついて、工夫思考が発達していく。その為には、豊かな自然外圧と年齢構成に適度の幅がある仲間が集るのが良い。

 還暦越えの私だが、老母が云うには、確り文字を覚える前から天気図は読みこなしていたという。嘗て我が家は漁業を生業としていたために

、近くの気象台から新聞のように毎日、海洋気象に関する天気図が配達されてきた。

 海あり山あり川ありの育ちだったが、学校に行く前、学校から帰ってから、そして学校の無い日と、遊び心豊かな幼少期を過すことが出来た。
 魚を釣るには餌の用意がいる。となると、餌のゴカイは大潮の干潮時に潮が引いた川底を掘り起こさねばならない。餌のサシ(蝿の幼虫たる蛆虫)は鰹の頭を陽に晒して蛆が湧いてコロコロになるまでの日数を計算せねばならない。ミミズはサクラミミズからノラミミズまでその棲み処は秘密の場所となる。錘は鉛を溶かしてはがきをを丸めた筒に流し込んで作る。それなりに頭を使い、仲間との共同作業が、段取りが欠かせなかった。
 そして当日、低気圧に見舞われ海が荒れれば、魚は砂で腹を一杯にして海底に潜んで如何しても釣れない。となればサシを餌に川釣りとなる。
 率先して遊びを創りだすガキがいて、ガキ仲間の心と行動がまとまる。その充足体験の繰り返しの中から、仲間と共に働く能力が育まれるように思う。
 今や携帯電話を手にして仕事に向かうが、ガキのころはナイフが必需の道具で、手から離すことは有り得ぬことであった。

・上記のように本能レベルでは
運動能力や感覚機能を脳にインプットさせることで外圧適応しやすくしています。
・共認レベルでは
一緒に遊ぶ。まねをする。みんなと充足を味わう
・観念レベルでは
工夫思考で周囲の環境に適応しています。
これって仕事を覚えるのもその一つではないでしょうか

*遊びの原動力は共認充足である
遊びは何もないところから充足体験を作り出している
実はこれは勉強も同じではないでしょうか

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>画像はこちらから借りました

子どもにとって、「遊び」は最大の学習課題
>子どもたちの「遊び」は、本能に根ざしたものであり、同時に集団で生きる術を学ぶものではないかと思う。
>「古今東西、子どもたちはみんな鬼ごっこをする」。この事実は大きいと思う。そこには必然性があるのだろう。
>生きていくための知恵を、遊びならが身につけていく野生の動物たち。それはもちろん、人間の私たちにも言えることなのです。

それでは、人はほおって置いたら勉強するでしょうか?
遊びは本能・共認・観念全部を使ってやっています。
いったい机の上だけの勉強ってあるのだろうか?

勉強の前に充足体験が必要だと思います。
そこからモチベーションが出てくるのです。
そもそも子供達に充足の意味を教えるのが本来の教育ではなかったか
たしか昔は弟子入りという体験制度がありました。

【遊び=勉強】なら本来の生きた勉強とはどういうものだろうか?
充足している姿をみると勉強して働きたくなります。
職業体験とは役に立てそうだと学ぶ体験であり、充足体験です。
これは遊びと同じ仕組みです。仕事は決して苦役ではない。いかにそれを充足課題にできるかが重要ではないでしょうか。

以下参考投稿です。
・幼少期の遊びは、胎児期に次ぐ“生命進化”の追体験

・子どもの「遊び」と脳神経回路の形成
>「幼い子どもがひたすら遊びに熱中するのは、情報の選択と応答の神経回路がつぎつぎとジョイントされていく充足感からなのだろう」とあるように、遊びには、対象と主体とを接続する回路≒同化回路を充足回路とともに形成していく作用があるのだろう。


・「遊び」と「労働」の区別のない世界

>ここで注意すべきは、イヌイットには「遊び」と「労働」という観念を区別する思想はなかったことである。それぞれの遊びやゲームには名前があったが、これは「遊び」だ、これは「労働」だという区分はなかった。私たちが遊びと分類する行動は、イヌイットにとって生きていく上、心理的な対応と行動の技術の学習・向上を促進させるとともに、社会生活が円満に営まれるための役割を果たしていた。つまり、イヌイットの「遊び」とそのほかの行動は表裏一体の関係にあり、遊びは生き抜く術の予行演習であった。
・遊びはなぜ大事か?
>遊びが大事な理由には、体(本能)を鍛える、集団性・社会性(共認)を鍛える、頭を使うこと(観念)を鍛えるといったことが考えられるが、それらを包括的に捉え直してみると、「遊び」には人が生きてゆくうえで必要な要素が全て含まれている。だから大事なのだと思う。
>このように考えると、「遊ぶ」ということは「生きる」ことそのものであると言っても過言ではない。子どもにとっては遊びが仕事であるという考え方は的を得ている。「生きる力」ということを本質的に考えるなら、諸々の教育テクニック以前に、「遊ぶ」ことの意味をもっと積極的に捉え返す認識転換が必要だと思う。

・”遊び”と機能発達
>自然界を見ると、高度な動物になるほど、「遊び」を行っており、内容が複雑化・高度化していくことが解ります。
>遊びの”本質”とは、外圧に適応する生体へと身体や脳を発達させていく為の、機能発達の場、実践的訓練の場にあると言えそうです。

・ヒトの遊びと流れについて
◇動物はどのように遊ぶのか?
◇ヒトの遊び方
◇ヒト特有の遊びの可能性のあるもの

投稿者 tennsi21 : 2010年05月13日 List   

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