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2008年02月26日
ニートは最早時代遅れ?
さて、ニートの原因から現状分析まで行ってきましたが、近年増加率に徐々に歯止めが掛かり始めたようです。
それもそのはず、今や新卒学生にとっての就職活動はバブル期以来の売り手市場再来
。
![]()
各企業が、団塊世代の引退を補うべく、新人の採用にやっき
になっています。
しかし、学生の意識は単に売り手市場に乗っかる、という枠組みを超えているように感じています。
さて、その中身とは?
いつも応援ありがとう
投稿者 kawait : 18:22 | コメント (8) | トラックバック
2008年02月25日
ニートとは、私権時代の遺物

最近あまり話題に上らなくなった感もありますが、ニートにもいくつかのパターンがあるようです。
彼らの生態を見つつ、なぜいまのような状態になったのか、そしてどのような意識でいるのかを探ってみました。
投稿者 wyama : 20:53 | コメント (1) | トラックバック
2008年02月24日
ニートデーターあれこれ~ニート減少傾向?~
知っていました?

画像はここからお借りしました。
ニートひきこもりJournal より
ニートの人口推移は、
年 フリーター人口 ニート人口 15-34歳人口 フリーター割合 ニート割合
00 - 44 3488 - 1.26%
01 - 49 3480 - 1.41%
02 209 64 3425 6.10% 1.87%
03 217 64 3376 6.43% 1.90%
04 213 64 3319 6.42% 1.93%
05 201 64 3240 6.20% 1.98%
06 187 62
(2006年は、下記リンク先を参照)
2002年に1.3倍に跳ね上がり、その後、変わらず推移、2006年より若干減少傾向を見せだしている。
社会実情データー図録
年齢別フリーター数・ニート数の推移によると
ニート 1997年→2002年→2006年
25~34歳 21万人→35万人→36万人
15~24歳 21万人→29万人→27万人
・2002年→2006年比較で見ると、若干ではあるが、年齢が高い層が増加傾向にあるのに対して低い年齢層の方が減少傾向にある。
・1997年→2006年比較で見ると、1:1であったものが4:3になっていて年齢が高い層の割合が高いことを示している。
フリーターで見るともっと顕著で
フリーター 1997年→2002年→2006年
25~34歳 49万人→ 91万人→92万人
15~24歳 102万人→117万人→95万人
若い年齢層ほど、ニート・フリーターから脱却しつつある傾向にある(逆に、年齢が上がれば抜け出せない)と言えるのではないでしょうか。
投稿者 sodan : 23:18 | コメント (0) | トラックバック
2008年02月23日
母親の不全が“ニート”を生み出す
結婚して、主婦になりきっていたのが、子どもが小学生や中学生になって手が離れたとき、ふと気がつく。もう若くはないワタシ。いったいワタシは何をしているのかしら、こんなことをしていていいのかしらと、漠然とした不安感にとらわれる。これが、「思秋期」なのです。・・・ (斎藤茂男の『妻たちの思秋期』より)
(‘70年以前の日本においては、)多くの女性は厳しい農作業に追われながら、家事・育児を行っていた。母親のそんな姿を見て育ったこの時期の若い女性にとって、サラリーマンと結婚して専業主婦になることは、憧れの生活であった。煩わしい近所付き合いもなく、仕えるべき舅・姑もいない、郊外のこぎれいな住宅団地での、テレビに見るアメリカのホームドラマのような暮らしを夢見て、多くの若い女性が農村を離れ、結婚していった。
以上は、厚生白書(平成10年版)からの抜粋ですが、憧れの“専業主婦”とは、決してバラ色などではなく、そればかりか大きな不全を抱えた存在だったようです。。
今回は、専業主婦生活にはどんな問題があったのか?またそれがニートを生むことにどうつながるのか?を追求してみたいと思います。
投稿者 hiroaki : 18:14 | コメント (1) | トラックバック
2008年02月22日
専業主婦はニートの生産者?

キテるでしょ?「ニートカンガルー」
写真はここから拝借いたしました。
オリの中の無圧力環境だからこその絵ですかね?
今日はニートについて考えてみました。
ニートになる意識を大きく分けると二つ。
1:「働く自分に対する自信の欠如」
2:特別な自分(ミーイズム)
では、何故こんな意識が備わってしまったのかを追求して見たところ、専業主婦に行き着いた。
専業主婦に囲い込まれた層がニートへの道を歩んでいるのではないか?
投稿者 gokuu : 18:22 | コメント (1) | トラックバック
2008年02月21日
子育ては遊びではない。生産活動(意識生産)である。

女性の社会進出(就職)→育児(家庭に入る)→活力低下(社会閉塞)⇒育児でまっとうな評価を得る。そのためには?
続きを読む "子育ては遊びではない。生産活動(意識生産)である。"
投稿者 toya : 18:34 | コメント (4) | トラックバック
2008年02月20日
「学び合い」part2~授業外でも学び合う~
「学び合い」勉強会開催!~授業風景をトレース~読んでいただけましたか?
一斉授業しかしらなかった私は「授業は一方的に教えてもらうもの」だと思っていたので
子ども同士で教えあう(学び合う)授業という発想におどろきでした
今日はその続き
で、授業そのものではないですが、学び合いの発想に通ずるおもしろい話を
聞けたので、お伝えします
続きを読む "「学び合い」part2~授業外でも学び合う~"
投稿者 kado : 21:53 | コメント (0) | トラックバック
学校ってどうなってるの?50~教育ニ関スル勅語(教育勅語)ってなに?~
学校ってどうなってるの?45では、明治時代の教育ニ関スル勅語(教育勅語)とは?を書きたいと思います。

【教育勅語(東京大学)】画像をクリックすると拡大します。
まずは、一般論から・・・・ネットでは、否定的な捉え方、肯定的な捉え方など多くの記事がありますので、概要を紹介します。良いか、悪いかの価値判断は、一旦、棚上げにして、ここでは、当時の情勢の同化して、考えてみたいと思います。
【教育ニ関スル勅語】: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【教育勅語】フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』
【教育ニ関スル勅語】『ウィキソース(Wikisource)』
【教育勅語】『明治神宮HP』
原文と口語訳については、続きに記載してあります。草案⇒成立⇒絶対視化⇒神格化⇒イデオロギー化⇒戦後否定の経緯の歴史概要は、下記HPより引用します。
◆侍講(じこう=明治時代に天皇・東宮に書を講じた官職)であった儒教(仁を根本とする政治・道徳を説いた孔子を祖とする中国の教説)主義者永田永孚(ながざね)や伊藤博文の下で大日本帝国憲法・皇室典範の起草にあたった井上 毅(こわし)らが起草した。
◆その内容は、軍人勅諭にならって国民の「愛国心」「親孝行」や「義勇奉公」など、戦前の教育全般における基本理念を示したもので、皇国史観に立ち、天皇の名において教育理念と実践道徳を規定しており、同勅語は、第2世界大戦敗戦まで「軍人勅諭」とともに天皇制国家イデオロギーの2大支柱となった。
◆紀元節(建国記念日)や天長節(昭和天皇の誕生日)になると、生徒は講堂で頭を垂れて、校長先生が勅語を持って来るのを待っていた。勅語奉読(つつしんで読む)のためである。元日、紀元節、天長節、明治節(明治天皇の誕生日)の4大節では必ず読まれ、校長は、フロックコート(frock coat=男性の昼間用礼服。上着はダブルで丈はひざまであり、縞のズボンと組み合わせて着る)などで正装、真新しい白手袋をつけ、箱へ大事に納めた謄本を取り出し、勅語節といわれる独特の抑揚を付けて朗読した。もとより来賓の前で読みまちがえればたちまち進退問題になった。
◆勅語の絶対視化は歴史とともに進み、一種の聖典と化すが、権威付けのために勅語の保管場所にも政治的は配慮が加えられ、1910(明治43)年ごろから、校庭に石造、土蔵造り、あるいは鉄筋コンクリートの神社風の「奉安殿」(ほうあんでん=学校で御真影や教育勅語などを保管するために校舎とは別に設けた、小さい特別な建物)を建てて納めるようになった。当然生徒たちは、登下校時にはその前で最敬礼することが義務とされた。結局、教育勅語が納められた奉安殿は、ご神体のようにあがめられて国家神道の一部を担う役割を果たすのであった。
◆このため1947(昭和22)年3月31日の教育基本法の制定によってその内容が否定され、また1948(昭和23)年6月19日には国会(衆参両議院)が、「根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基づいている事実は、基本的人権を損ない、国際信義に対して疑点を残すものとなる」として、「軍人勅諭」、「戊申詔書」、「青年学徒に賜わりたる勅語」とともに、教育勅語の「失効確認・排除の決議案」を可決した。当然謄本は回収、処分され、「奉安殿」も取り壊された⇒天皇の人間宣言。
とのこと。江戸幕府の大政奉還、王政復古、明治維新など体験して、若くして即位した明治天皇が、臣民に語りかける形式をとりますが、当時の日本の西洋化や自由民権運動、洋学の重用などによる日本古来の規範、制度、共同性や文化などの軽視を教育の場面で食い止める歯止めとして、発布されたもののように思います。特に教育に関しては儒学を基本にすべしとする天皇の思いもあり、西洋よりも日本の伝統の倫理道徳に重きを置いていた天皇の「日本らしさ」を提示したものとも思います。
しかし、この【教育勅語】が、もう一つの【軍人勅諭】と並んで、絶対化、神格化、イデオロギー化していきます。ようは、『自己正当化』に使われていきます。
当時の外圧は、外国からの圧力。遅れをとった日本がとった政策は、大政奉還からの統合不在の状況をすぐに切替、天皇制へと統合し、富国強兵、殖産興業を推し進めてきた。その中で、若い新しい人材を育成する教育が重要と位置づけられていました。この不全に対する解決策を短時間に成立させるための政策の一環であったともいえます。しかし、この自己正当化が、本来の目的を見失って、日本を孤立へ戦争へと導いていきます。
教育勅語の内容をいま見返すと、当然と言えば当然で、日本人の特色(集団性、共同性、勤勉・勤労性、男女和合、規範性など)を示しているように見えますがどうでしょうか?(続きをどうぞ)
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投稿者 2310 : 12:00 | コメント (0) | トラックバック
2008年02月19日
甘え下手で、勉強が進まない小学生?!
「甘える」について調べていたところぴっかりさんの子育て相談室というHPを見つけました
るいネットでも「厳選○サイト」として紹介されています
抱いてやっても体に力が入ったまま、絶えずモゾモゾと落ち着かず、母親から目をそらすように体を反り返らせる赤ちゃん。
泣かない赤ちゃんや泣くことを止めようとギャーッという異様な泣き声で泣く赤ちゃん。
些細な理由で、異常なまでの激しいかんしゃくを起こす子ども。
こんな赤ちゃん・子供が増えているそうです。(自閉ぎみの赤ちゃん・子供が増えている??)
寂しい。かまって欲しい。本当はお母さんに可愛がってもらいたい。甘えたい。
けれども素直に甘えられず、感情を抑圧してしまう。
切なくなるのは、お母さんの不安定さを感じ取って、感情を抑え込んでいるということ。
カウンセリングで、お母さんへ今まで良く頑張ってきたことを認めてあげたり、お母さんが赤ちゃんや子供のサインの理由を理解した時、赤ちゃんや子供の様子が変わるそうです
「ぴっかりさんの子育て相談室」のあるコーナーの中の記事には、
「育てにくい子どもは、赤ちゃんの頃、「妙におとなしい」か、「ギャーギャー泣いてばかり」だったというケースが案外多い。だとすれば、感情抑圧的な傾向の端緒は、実は赤ちゃんの時期から始まっていたと考えられるのではないだろうか。」
と記されていました。
様々な記事の中でも、「甘え」と「勉強」の関係について記されている記事がありましたので紹介します
応援宜しくお願い致します
投稿者 nakamenta : 22:29 | コメント (0) | トラックバック
2008年02月18日
学校ってどうなってるの?49 明治になってできた道徳教育、「修身」の教科書って?

http://kan-chan.stbbs.net/docs/shusin.html「新編 修身教典 尋常小学校児童用 巻二」
「修身」って知ってますか?
明治時代からはじまった道徳教育なのです。
文部科学省HP より、「修身」についての引用を紹介します。
明治初年に欧米から取り入れた教育内容が一般に行なわれていた時には,伝統的思想はそのかげにかくれていだが,その主知主義の行き過ぎや道徳軽視の風潮に対する批判と反省が起るとともに,伝統的儒教倫理が重視されるようになった。明治11年(187に明治天皇が示された「数学大旨」は仁義忠孝の道を明らかにして,実学とともに道徳教育が教育の根木になることを示した。これ以後,教科のなかで修身が重視され,それ以前の西洋道徳に,儒教的倫理が新たに注入されてきた。ついで従来の翻訳教科書の使用が禁止されたり(明治13年-1880),道徳教育の基本を示した「幼学綱要」(明治15年-1882)が出されると,論語・孝経等儒教的倫理がさらに強調された。明治維新以来,国民全体の思想を統一する規範的なものが必要であり,それが徳川時代から素地のある儒教道徳となって現われたものである。明治23年(1890)に教育勅語が発布され,修身教育は,この勅語の趣旨に基づくべきことが決定された。検定教科書として発行された修身教科書は,教育勅語の趣旨である忠義・孝悌・友愛・仁慈等を徳目としており込むとともに,日清戦争の影響もあって忠の面が強調された。日清戦争後明治33年(1900)ごろからは,歴史上の人物も多く扱われろようになり,勤勉・恭倹・節倹・養生・謙遜等の徳目が教えられている。これらの徳目は近代資本主義発展期における重要な倫理であって,国の発展にとって必要な勤勉・倹約・健康の精神を国民に植え付けるのに役立った。
主知主義とは・・・
人間の心は知・情・意からなるなどといわれるが、このうち知の面を、つまり知性とか理性とか悟性とかよばれる知の機能を、ほかの感情や意志の機能よりも上位に据える見方が一般に主知主義とよばれ、感情を上位に置く主情主義(情緒主義)や、意志を上位に置く主意主義に対するものとして用いられる。
急激な西洋化に対して日本人的価値観が失われていく危機意識をもったということが発端でしょうか。
明治37年(1904)から修身は国定教科書になったが,扱われている内容を,個人・家庭・学校・社会・国家・国際社会に分類してみると,各時代を通じて個人・社会・国家に関することが多い。時代別にみると,個人に関することは,明治37年のものがもっとも多く,昭和16年(1941)からの戦時下がもっとも少なくなっている。国家に関することはその逆で,古い時代ほど少なく,昭和になるにつれて増加している。近代社会の発展過程において,初めまず個人の完成に力が注がれ,やがて国家のなかの個人という点を強調するようになったことを示している。大正末期から昭和初期にかけては,第1次世界大戦後の世界的なデモクラシーの風潮や社会思想運動を反映して,社会に関することが一時増加している。
江戸時代までの日本と近代国家としての日本、その精神性をどう統合するか?という軸を必要としていたということのようです。
修身で教えたのはどんな事柄?? クリックしてから次いきましょう
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投稿者 bunchan : 20:00 | コメント (0) | トラックバック
2008年02月17日
読解力向上への試み
お久しぶりです。hajimeです。
世間では、『子供達の読解力の向上』が話題ですが…。なかなか、その成果が上がっていない、というのが実情のようです。そんな中、頑張っている先生が…

『経済協力開発機構(OECD)の’06年学習到達度調査(PISA)で日本の読解力はさらに後退して15位になった。』文部科学省は、『読解力向上プログラム』なるものを作成し、向上を図ろうとしたようだが、なかなか効果は上がっていないようだ。(確かに、プログラム?の内容は抽象的で、現場では何をやったらいいか?きっと、よくわからないと思う。)
(http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku/siryo/05122201/014/005.pdf#search='読解力向上プログラム')
そんな中、成果が見え始めている、なかなか面白そうな試みが…。
投稿者 hajime : 21:29 | コメント (0) | トラックバック
2008年02月16日
保育園を作れば作るほど、財政難・・・
大阪市は、日本でも有数の待機児童が多い市町村で、「保育園を作ってほしい」という声が、ママさんたちの間でも頻繁に聞こえてきます。
市長も知事も「保育所待機児童の解消」を中心的な政策として掲げているにもかかわらず、なかなか進展しないのはなんでなのでしょう
ポチポチっとしてから、続きを読んで
投稿者 watami : 22:36 | コメント (1) | トラックバック
2008年02月15日
甘え⇔安心感⇔委ねる~児童養護施設の内情から~
Hatena 児童養護施設の内情についてご存知の方への質問です。より
友人達と時々遊びに行っていた経験から書かせていただきます。子供さんたちの背景や施設の状況により全く参考にならないかもしれませんがお許しを。
という書き出しで、大きく5項目ぐらい書かれています。
その中でも、最初に書かれている1)項目めの
1)甘えたがる子供が多かった。一人を膝に乗せ絵本を読み聞かせると他の子供がやきもちを焼きその子を押しのけたり、うまく甘える子供を殴ったり。施設内でも皆の先生、皆の客人なので『自分ひとりに愛情を注いでくれる誰か』を欲している。
『甘えたがる子供が多かった。』という言葉を読んだ時、このブログでも紹介されている“甘えない人が自立するのでなく、甘えていいときに充分に甘えた人が自立する☆”という投稿が頭を過ぎりました。
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投稿者 sodan : 21:24 | コメント (0) | トラックバック
学校ってどうなってるの?48・教育制度の目的・理念は?
明治維新以降の日本は、驚異的なスピードで、全面的社会構造の改革を実行してきましたが、その中で、教育制度はどうだったのか?まず第一に挙げられるのが、世界的に、就学率が高いということです。
明治 5年:最初の義務教育宣言「学制」。中央集権的制度。
明治12年:教育令
明治19年:小学校令
と、国家主導で、当時の日本の状況にあわせ、いろいろな教育制度の修正を行いつつ、明治43年には就学率ほぼ100%となっています。
では、国家主導の教育制度の目的、理念とは?
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投稿者 hoop200 : 20:02 | コメント (2) | トラックバック
2008年02月14日
権利概念では、子供たちは救われない

児童養護施設に子供たちが引き取られる際に、子供たちに配られる手引きがあります。
「子供の権利ノート」という名前で、各自治体で作られています。
…こどもには、幸せに生きる権利があります。大人には、それを子どもたちに伝え、擁護する義務があります。そこで生まれたのが「子どもの権利ノート」です。…
という解説がありますが、その中身を見ると、これで本当に子供たちを「養護」する施設になり得るのか、はなはだ疑問です。
投稿者 wyama : 20:26 | コメント (0) | トラックバック
2008年02月13日
学校ってどうなってるの?47~福沢諭吉が考えていたこと

福沢シリーズ第2弾です
明治5年になると、2月にあの有名な「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへり…」で始まる『学問のすゝめ』がついに刊行されました。
封建的な身分制度を否定し、学問の持つ有用性を平易な言葉で述べたこの本は、その後大ベストセラー・超ロングセラーとなりました。
さらに折しも明治5年8月には政府により学制が定められ、日本でも近代的な学校教育制度が発足した。彼の著した、『啓蒙手習之文』『訓蒙窮理図解』『世界国尽』『学問のすゝめ』『童蒙をしへ草』などが教科書として全国の小学校で広く使用されました。
特に『世界国尽』は各地の小学生が暗唱して歩いたという!
ではこのような時代の思想的リーダーであった福沢諭吉の時代認識はどうだったのでしょうか?
さらに彼の教育に対する考え方はどうだったのでしょうか?
福沢諭吉の興した事業として【慶応義塾】【時事新報】【交詢社】」があります。
この「交詢社」構想に彼の時代認識が読み取れると思います。
「慶応義塾」は教育、「時事新報」は新聞。そして「交詢社」は、福沢の提唱により明治13年に設立した日本で最初の「社交クラブ」と言われるが、創立時には必ずしもそのように特定できない【結社】であったようです。
当時は江戸時代までに形成されてきた政治制度のみならず社会生活や文化生活の行動様式(型)までが崩れゆく中で、文明を新たに造り出す激動の時代です。
個人から国家にいたるまでの急な「文明開化」の中、人々の精神の混沌の中から新たな社会・文化の型を造り上げるという課題に迫られていました。
最終的には教育勅語にみられるように天皇制という国家体制の枠によって解決が図られることになりますが、教育勅語制定以前、この課題の回答となる可能性を秘めた試みとして【交詢社】は設立されたといわれています。実は【慶應義塾】はこの結社の一つの実現態だったのです。
その考え方については設立宣言書で読み取れると思います。
この宣言書は『芝新銭座慶応義塾之記』と題され、創業と同時に出版されました。
それは以下の文章で始まります。
ここからは慶応義塾大学出版会の住田孝太郎氏の「近代日本の中の交洵社」の連載からの抜粋です。最初のくだりは第2回で後半は第6回のものです。http://www.keio-up.co.jp/kup/webonly/ko/koujyunsya/vol3.html
「今ここに会社を立て義塾を創め、同志諸子相共に講究切磋し、以て洋学に従事するや事本と(もと)私に非ず。広くこれを世に公にし、士民ここでの「私」と「公」の使われ方をみると3点の特徴があるようだ。
①同志による共同体、「会社」の公共的機能の認識、
②洋学という学問に従事することが単なる私事ではないという主張、
③入社資格が身分ではなく「志」の有無にある、という3点である。この「会社」という言葉は今日の我々が思い浮かべる企業の意味ではなく、自発的集団を指している。この言葉は、江戸時代に生まれた和製漢語だという(馬場宏二『会社という言葉』)。世界情勢を知るため、オランダ語の地理書が翻訳される中、company、corporationの訳語として生まれた。
19世紀半ばには幕府蕃書調所の蘭学者たちに共有されていたという。「学界・学芸集団」「同職、同志等特定階層の自発的集団」「広く仲間や集団」「今日の“社会”」の意味で使われたらしい。
・・・・中略・・・
彼の著した西洋事情の中に
「政治」「収税法」「国債」「紙幣」「商人会社」「外国交際」「兵制」「文学技術」「学校」「新聞紙」「文庫」(図書館)「病院」「貧院」「唖院」「盲院」「癩院」「痴児院」「博物館」「博覧会」「蒸気機関」「蒸気船」「蒸気車」「電信機」「瓦斯灯」
これらをみて、気づくのは「商人会社」「学校」「新聞紙」「病院」「「貧院」「唖院」「盲院」「癩院」「痴児院」という公共的な役割を担う団体が多くとり上げられていることである。いずれも福沢は「会社」「社中」と呼んでいる。
例えば学校であれば、
「学校は政府より建てて教師に給料を与えて人を教えしむるものあり、あるいは平人(民間人)にて社中を結び学校を建てて教授するものあり」
病院では、
「病院は貧人の病んで医薬を得ざる者のために設けるものなり。政府より建つるものあり、私に会社を結んで建つるものあり」
という具合に説明されている。
このような政府以外の公共的団体は、政府の「公」と対比して私的結社という。より広い意味では、人々の自発的な意志によってできる結社なので、自発的結社という。彼が「会社」「社中」と呼んだものはこの自発的結社であり、今日でいう企業とは異なる。慶応義塾の創業に際して、福沢はこうした西洋の自発的結社「会社」を参考にした。。
さらに専門分科への危機意識について【交洵社】の緒言という形でこう語られています。
現在が「分業に基づく時代である」ということからはじまっている。未開の時代には1人の人間がいくつもの職業を兼ねたり、1つの店が多くの品物を売っているものだが、時代が進むと人々に専門の務めができ、各家の生業ができる。分業と専門化が進むことで、職種の幅が広がって利益は大きくなり、そうなると一層分業化が進んでゆく。これが「現今世界の通勢」であるという。
しかし、人々が専門の仕事に従事するようになると専門外のことにうとくなるし、年齢や富の多寡、住む地方が異なれば人々の利害も異なる。こうなれば人々はうまく世をわたることがむずかしくなる。そこで、各業、各年齢、各地方の人を結んで互いの知識を交換し、補い合うことが現在に最も必要なことであるというようなことが、この「緒言」前半で分業社会への対処法として説かれている。
彼は3度にわたって西洋を訪問し、法律、制度をつぶさにみてきた。そこに学ぶという意識と裏腹に日本の共同体を壊していく【西洋思想】の存在を感じていたのではないか。日本独自の集団の有り様を見失ってはならないという危機感を感じていたのではないだろうか。
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投稿者 tennsi21 : 20:39 | コメント (2) | トラックバック
2008年02月12日
学校ってどうなってるの?46 明治時代ってどうなの?

明治時代の教育制度を見るに当たり左記に以下の視点を掲げました。学校ってどうなってるの?45~明治の教育・・・分析の視点
■「国家」として、欧米による掠奪闘争という外圧にいかに適応するか?
■国家戦略の背後に“金貸し”=国際金融資本の思惑
■共同体の解体→「家」制度へ
■「教育」の変遷と理念
今回はそのことを念頭に「明治時代ってどんなん?」っいうことを探ってみたいと思います。年表に明治の主だった出来事を纏めておきます。
クリックお願いします。
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投稿者 saito : 17:03 | コメント (1) | トラックバック
2008年02月11日
児童養護施設の可能性
1年位前に「児童福祉施設で暮らしています」と言う若者と話した事が有ります。
彼女達はとても快活で、会話も楽しく、健全だった。
普通の家庭で育っている、多くの若者達よりも随分と快活だったと感じました。
今日は、この記憶を頼りに、脱家庭の可能性事例を探索した中で、ヒットした事例を一つ紹介します。

タイガーマスクは孤児ハウス出身で、大人になってからも面倒を見ていたんです。
(恥ずかしながら幼少時の私のあこがれでした・・・・画像はここから引用させていただいています)
続きの前に宜しくポチです

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投稿者 gokuu : 18:08 | コメント (1) | トラックバック
2008年02月10日
■母原病とは何か?
30年前に指摘された構造的育児不能としての母原病。
30年前の古い本を取り出してきました。「母原病」という言葉を知っていますか?
紹介します。
■久徳重盛著『母原病』(サンマール文庫、1991年※単行本は1979年に刊行)
>第1章 母原病とは何か
>>2.病原体が母親にある「母原病」
>>>「母原病」の子どもがふえている
より抜粋します。
>私は小児科医として、
>呼吸器疾患のため、ぜんそく児だけでも三万人は指導してきたと思います。
>急激な医学の進歩のおかげで、
>一時はわれわれ小児科医の仕事がなくなるのではないかと思ったほどでした。
>ところが、
>仕事が減るどころの話ではなくなってきたのです。
投稿者 toya : 20:29 | コメント (0) | トラックバック
2008年02月09日
児童養護施設の存在構造
日本の児童養護施設は、法的には1929年:孤児院→1948年:養護施設→1998年:児童養護施設という変遷を経て、現在の形となっているようです。元々は、親を何らかの理由で亡くしてしまった孤児達を受け入れる施設としての役割がメインであったものですが、昨今では凡そ6割以上が、なんらかの虐待を受けている子ども達を一時的に保護する施設として、全国に555箇所あり、H15年の時点で3万人ほどの子ども達が生活の拠点としているようです。
また、厚生労働省の調査結果によると、児童相談所における虐待の相談件数は毎年増加の一途を辿っており、H17年で3万4千件。10年前のH7年時点では2700件ほどだった事と比べると、なんと10年で12倍
を越える増加となっています。
ちなみに、るいネットで先日一緒に議論したきょんさんが調べてくれたデーター「2006年アメリカにおける虐待の実態について」によると、個人主義立国アメリカでは、比較にならないほど虐待件数が多い事が解りました。
投稿者 kawait : 17:46 | コメント (2) | トラックバック
2008年02月08日
親和充足によって親も「育つ」

「子育て」ってなんだろう?!
と聞かれれば、子供の安全を守りながら、ご飯を食べさせ、「出来る事」を増やす為に手取り足取り導く事をイメージする。
そして、たぶん大人の感覚で子供をつい見てしまって、「何でこんなことも出来ないの?!」となったり、自分の価値意識を押し付けてしまうだろうなぁ思う。
そんなんでまともに子供が育つのか?!と、問われれは確信を持って「いい子に育ちます」とはとても言えない。むしろ、そういう事が子供の成長には良くないのだろう。
「誰も教えてくれなかった『子どもの“天才”を“笑顔”で引き出す』8つのポイント」 より引用 によると
投稿者 shijimi : 00:01 | コメント (0) | トラックバック
2008年02月05日
増える教師の長期欠席どうする
今日は少し重いです。最近公立学校に勤務する教師の長期欠席が増加傾向にあるみたいです。しかも驚くべきことに、精神疾患が原因となっている教師がその6割を占めているそうです!
なぜそんなことになっているのでしょう?そのあたりの話をしたいと思います。

投稿者 daichi : 12:00 | コメント (2) | トラックバック
2008年02月03日
「学び合い」勉強会開催!~授業風景をトレース~

年始に告知させていただいた『なんで?型授業のマニュアル作成』を実践に移していこうと思います。
第1弾として、カオス企画の主催者Wさんが参加され、彼が実践している「学び合い」について、勉強しました。
彼から聞いて驚いた
のは、彼が西川先生が提唱する「学び合い」を知ったのが、つい1ヶ月半程前とのこと。彼は、独自で2年余り前からほぼこの「学び合い」と同じような授業を自ら思いついて実践していた!ということです。
きっかけは、
通常の一斉授業では出来る子はすぐに終わって暇そうにしている。出来ない子は時間を掛けても中々出来ないので興味も高まらないし、集中力も続かない。そのどちらに合わせても非効率。
じゃ、クラス全体でみんなが分かるようになるには、できる子が出来ない子を教えてあげること。
先生は教えずに、“空間管理”と“時間管理”という『場づくり』を行う役割に徹すればよい。
重要な事は、その目標:課題設定。とのこと。
先日、実際に授業風景の授業のビデオ
を見せてもらいました
その様子をトレースしていきます。
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投稿者 sashow : 22:59 | コメント (0) | トラックバック
甘えない人が自立するのでなく、甘えていいときに充分に甘えた人が自立する☆

>『育てる』って、子供に何かを教え込むんじゃなく、子供が成長していくために必要な、“安心基盤をつくること”なんですね るいネット『育てる』って何かを教え込むことじゃなくて・・・』より
『子育てハッピーアドバイス』(明橋大二 著)に「子どもの心は甘えと反抗を繰り返して大きくなる」とありました
「「甘え」とは「依存」のこと、「反抗」とは「自立」のこと。この2つを行ったり来たりしながら、子どもの心は大きくなっていく」と記されています
「甘えて、与えてもらった安心」を基盤に、適応としようと主体性は高まってゆく、その繰り返し。確かにそこには何かを教え込んで、引っ張ってゆく過程はないように思います
また、「もし、子どもが不安になって、後ろを振り返ったら、そこには、ちゃんと親がいて、大丈夫だよ、とうなずいてくれる、そういう関係を築いていきましょう」とも記されています
「ちゃんと見てくれている、聞いてくれている、触れてくれている、あぁ大丈夫」という安心感は、生きる基盤のように思います。子どもが育つのに、まず大人が与えてあげるべきものですよね。
続いて、子どもに必要な「甘え」について『子育てハッピーアドバイス』よりご紹介します
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投稿者 nakamenta : 00:14 | コメント (2) | トラックバック
2008年02月02日
学校ってどうなってるの?45~明治の教育・・・分析の視点

「福沢先生若き日本に西洋文明を教ふ」 北沢楽天画
(画像は「早稲田大学図書館WEB展覧会第33回」http://www.wul.waseda.ac.jp/TENJI/virtual/shozo/よりお借りしました)
学校ってどうなってるの?シリーズでは、No.40以降、明治時代の教育の在り様について、江戸時代から連なる外圧状況の変化や家族制度の変化などを踏まえつつ、解き明かしてゆく所存ですが、45までの投稿を元に、今後分析してゆく上での視点や、更なる疑問点=追求ポイントをまとめてみたいと思います。
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投稿者 kota : 20:07 | コメント (0) | トラックバック
2008年02月01日
社会適応の条件とは?(育つって何?)
さて、不登校→フリースクール→出口の無い無圧力空間。。。
といった構造の限界が前項にて提示されましたが、そもそもの人類、あるいは生物にとっての「生きる」とは一体何を意味するのか?
みんなで探索した事例の中には、全寮制学校により外圧形成+適応力の育成で成果を上げている事例も見られました。
そこで、改めて「適応」という視点で探ってみました。
るいネットにて「適応」をキーワードに投稿を探すと、沢山の答えが見えてきます。
投稿者 kawait : 20:37 | コメント (2) | トラックバック
不登校→フリースクールの問題点
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フリースクールも様々な運営形態があり一括りにはできませんが、基本的には家庭にも学校にも居場所がない子供達にとっての居場所になっています。
何故居場所になれるのでしょうか?
それは、子供の自主性が尊重されていて、強制的に何かをやらされるということもなく、大人と子供は対等な立場で遊んだり勉強したりできるという自由な空間であるそうです。スクールの中にはゲーム、漫画、音楽、本、インターネットetc・・・が用意されており、自分のやりたいことを1人でやるもよし、仲間と一緒にやるもよし。勉強がしたければ勉強も教えてもらえる・・・
つまり、“何でも自由”な空間なのです。
いじめや家庭不和等の問題により居場所を失った子供達にとって、フリースクールとは引き篭もっている自分の部屋よりも快適な居場所になっているようですが、その中で生活する子供達は将来社会に適応できる人間として成長していけるのでしょうか?
