学校ってどうなってるの?39 ~【まとめ図解】江戸時代の外圧⇒国家統合体制⇒教育制度 | メイン | 学校ってどうなってるの?41 明治時代の学校制度
2008年01月04日
学校ってどうなってるの?40~日本教育年表【明治時代】~
江戸時代の社会背景からの教育の実態を押さえ終り、次回からは、【明治時代の教育】を扱っていきたいと思っています。
その際、歴史的な教育の出来事や社会背景を追求していく上で、貴重なデーターがありましたので、ご紹介したいと思います。
日本の子どもたちというサイトに日本の教育年表【明治】が掲載されていました。これを元に、明治時代の教育関連の出来事を俯瞰していきたいと思いますので、転載します。


旧山形師範学校(明治34年建造) 黒船の当時のイメージ
◆1868(明治1年4月)
福沢諭吉、江戸築地の蘭学塾を芝新銭座に移し慶応義塾と命名。
(私学の先駆)
◆1869(明治2年6月)
大学校設立。昌平学校中心。開成学校・医学校を分校。
◆1870(明治3年1月)
大教宣布(神道の国教化)。
明治政府は、太政官(だじょうかん)布告で、「わが国の商船は日章旗(「日の丸」の旗)を国旗として揚げること」を決め、べつに「御国旗(みくにはた)の寸法についてとりきめを公布。
◆1871(明治4年7月)
文部省設置
◆1871(明治4年11月)
府県の学校をすべて文部省の管轄とする。
◆1872(明治5年5月)
東京に師範学校設立。外国の制度を模範としてつくられる。
外国人教師としてアメリカ人のスコットが招かれ、アメリカの教授法が取り入れられた。
師範学校に編輯局をおいて教科書を編集。
教科書の多くが、西欧諸国の書物を翻訳・翻案したものが中心で、西欧文化を内容とする啓蒙書的なものだった。
◆1872(明治5年5月)
「小学教則」公布。
◆1872(明治5年8月)
「学制」発布。義務教育はじまる。
文明開化・富国強兵政策による近代的学校の創設。全国を8大学区、各大学区を32の中学区、各中学区を210の小学区に分け、それぞれに大学、中学校、小学校を置くというプラン。
財政の裏付けがなく、実施上の州外が多かったが、近代的教育制度の出発点となった。
◆1873(明治6年)
文部省「小学生徒心得手帳」編集。
◆1874(明治7年3月)
東京に女子師範学校設立。
◆1874(明治7年6月)
小学用書目録を布達。
◆1874(明治7年6月)
文部省、師範学校等蔵版の小学校教科書の翻刻許可書目を公示。
◆1874(明治7年10月)
文部省、編書課を廃止。その事務を報告課の所掌とする。
◆1875(明治8年)
京都市柳池小に幼稚遊嬉場開設。積み木、絵本などを使う。最初の幼稚園。
(本格的な幼稚園は、翌明治9年開設の東京女子師範付属幼稚園が最初。)
◆1875(明治8年8月)
学齢を満6歳から満14歳までと定める。
◆1875(明治8年8月)
文部省蔵版の書籍(教科書等)はすべて翻刻を許可。
◆1876(明治9年9月)
小学校の休日を日曜日とする。(1.6の休日を廃止)
この頃から地方出版の教科書が多数あらわれる。
◆1877(明治10年4月)
東京大学創設。
◆1877(明治10年5月)
文部省蔵版翻刻許可書籍の修正刊行の際は、あらかじめ届け出るものとする
◆1878(明治11年5月)
文部省、「小学教則」等を廃止。
この頃から教科書に復古的傾向があらわれる。
◆1879(明治12年2月)
文部省出版の図書に注釈・修正して出版することを禁止する。
◆1879(明治12年8月)
明治天皇「教学聖旨」(「教学大旨」と「小学条目二件」からなる)を示す。
欧米主義に基づく空理空論の教育への批判。儒教主義による皇国思想。
◆1879(明治12年9月)
「教育令」を公布。「学制」を廃止。
教育年限を16カ月に短縮、就学義務の緩和、小学校設置の自由化、公選の学務委員による学校管理。
父母や地方財政の負担を緩和。
アメリカの地方分権的教育行政に強く影響を受け、地方分権的、自由主義的方向が強められた。
◆1880(明治13年2月)
「改正教育令」公布。
重要事項は文部卿の許可を経る、学校の設置、就学義務の強化、学務委員を府知事・県令による選任制に改める、「修身」を教科の筆頭におくなどを規定。
◆1880(明治13年4月)
集会条例により、教員・生徒の政治活動を禁止する。
◆1880(明治13年8月)
自由民権のあらしのなかで、それまで自由だった教科書に制約が加えられはじめる。
文部省が小学校教科書の調査をし、不適当と認めた教科書の使用を禁止する。
◆1881(明治14年)
採択教科書を監督庁に報告。開申請。
◆1883(明治16年7月)
小学校教科書の認可制度を実施。
◆1885(明治18年)
内閣制度創設に伴い、森有礼が初代文相に就任。
◆1885(明治18年8月)
教育令を再び改正。
◆1886(明治19年3月)
「帝国大学令」公布。
◆1886(明治19年4月)
「学校令」(小学校令・中学校令・師範学校令を総称)公布。
小学校尋常科4年が義務教育と決まる。義務教育開始。
「国家のための教育」を強調。
小学校令により、小学校の教科書が検定制になる。
◆1888(明治21年)
「君が代」を式典歌とする。
◆1889(明治22年2月)
「大日本帝国憲法」発布。「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治する」「天皇は神聖にして侵すべからず」とうたう。
◆1890(明治23年10月)
「教育勅語」発布。「軍人勅諭」を真似てつくられた。臣民教育。天皇中心主義。軍国主義。
◆1891(明治24年6月)
文部省「小学校祝日大祭日儀式規定」祝日、大祭日は登校して一定の儀式を行うことを義務づける。
また、儀式のときに「君が代」を斉唱し、「御真影」(天皇・皇后の写真)に最敬礼をし、校長の教育勅語「奉読」と訓話が行われ、その祝祭日に関する歌をうたうことを決める。
◆1893(明治26年8月)
小学校儀式用唱歌として、「君が代」、「一月一日」(年の始めのためしとて・・・)、「紀元節」(雲にそびゆる高千穂の・・・)、「天長節」(きょうのよき日の大君の・・・)、「勅語奉答」「元始祭」、「神嘗祭(かんなめさい)」「新嘗祭(にいなめさい)」の8編を選定。
◆1894(明治27年8月)
日清戦争(~1895/4月)
◆1900(明治33年)
改正「小学校令」。はじめて教師の懲戒権が認められる。
ただし、懲戒と体罰とを分けて捉えたうえで、体罰は禁止していた。
◆1902(明治35年)
小学校就学率90%を超える。
◆1902(明治35年12月)
教科書疑獄事件起きる。検定教科書の採定をめぐる贈収賄。
検挙者は、知事、代議士、視学官、教員、教科書出版社など35道府県、200人にのぼる。
◆1903(明治36年3月)
「専門学校令」公布。
公立・私立の多数の学校が専門学校として認可される。
◆1903(明治36年4月)
教科書採択をめぐる大汚職事件をきっかけに、義務教育(小学校)の教科書が検定制度から、国定制度になる。文部省がつくった教科書に統一される。
◆1904(明治37年2月)
日露戦争(~1905/9月)
◆1904(明治37年2月)
文部省、日露戦争に際し、教育上の注意を訓令。
◆1907(明治40年3月)
小学校令改正。義務教育年限を6年に延長。(明治41年4月から施行)

教育勅語の原本
こうしてみると、特に明治の社会情勢は、日本の国家情勢・政治からかなりの制約が付加されています。国家の中央統制のもとに、江戸時代の共同体を解体して、国家に従順な臣民を作り上げるための教育という位置づけが見えてきます。さて、近代教育の基礎を作り上げ、未だに、継続されているシステムを作り上げた明治時代の教育事情は、どんなものか?興味深く、今後、社会圧力や社会共認内容をみていきたいと思います。
投稿者 2310 : 2008年01月04日 12:00
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コメント
教育勅語ってなんだったのでしょうか。母は暗唱していたといってましたので当時かなり影響があったのではないでしょうか
投稿者 seiginome : 2008年01月17日 11:55
seiginomeさん
コメントありがとうございます。
次回、教育ニ関スル勅語を扱います。
教育勅語は、いろんな見解がありそうで、当時の明治天皇が発信されたと言われますが、作成したのは、当時の政府だったようです。自由民権運動との狭間で、日本人の目指すところを完結にまとめたものらしいです。
では・・・・乞うご期待を!
投稿者 2310 : 2008年01月18日 03:30


